「石の上にも三年」は、冷たくて硬い石の上でも、3年間座り続ければ暖まってくるという意味から転じて、「どんなに辛く苦しい状況でも、諦めずに辛抱強く努力を続ければ、いつか必ず報われる」という教訓を表す諺です。
例えば、「仕事が辛いけれど石の上にも三年と言うし、もう少し頑張ってみよう」 と言った決意にも繋がる訳です。現代では仕事やキャリアに於いて「まずは3年続けてみる」という節目の言葉として使われることも多い様です。
この言葉の由来を紐解くと、2000年ほど前のインドにバリシバ尊者という人がおり、この人は80歳になってから出家をしてフダミダッタ尊者の弟子になりました。そしてこのバリシバ尊者は大変な修行を行うこととなるのです。仏教での修行は樹の下の石の上での座禅を大切にしているため、バリシバ尊者は3年間も座禅を組んだまま横になって休むことはなかったのです。この甲斐があって無上の悟りを得ることができ、釈迦から数えて10代目の祖師となることができました。このバリシバ尊者は今では第十祖脇尊者として崇められています。このバリシバ尊者は幼い頃にとある仙人から、この子は凡人ではなく法器になると予見されたことがありました。このバリシバ尊者のことが石の上にも三年という諺になったのです。
また日本では、冷たい石の上にでも、三年間も座り続けていたならば温まってくるという事からの例えとされています。江戸時代の初期には「石の上にも三年いれば温まる」という形で用いられていたのです。それが17世紀頃から温まるが省略されて用いられて、この省略された形が定着して元の形は忘れ去られました。この言葉の用法としては、新たな事柄を始める際に、ともかく三年は辛抱しようということでした。または結婚したものの離婚をして実家に帰りたいと言っている新妻に対して仲人が用いる言葉でもありました。ここでの三年の三とは一般的には一区切りとして意識される象徴的な数でありました。
さて・・・、ここからが本題です。本当に「石の上にも三年」で良いのでしょうか?
昭和の時代から平成、令和と時代は変わり気が付くと様々な価値観や常識が変わってきました。嘗ては良い大学にさえ行っていればいい企業に就職できて安泰と言われていたものが、今では「大学不要論」まででてきて異常に高い学費を払ってまで学ぶことの意義がなくなってきています。
また、我慢・辛抱といった精神論も、昔の価値観とはかなり違ってきました。無条件で我慢する事は「リスクを取らないリスク」が生まれるという考え方です。最悪のリスクは、人生とは時間そのものですが、その時間を無意味に浪費する可能性があるのです。
座る石をしっかり選択しないと時間(人生)の浪費になるという事です。受動的ではなく自分の頭で考えて能動的に選択し行動する事が現代の生き方と言えると断言出来ます。
例えば仕事の環境が闇バイト級に悪いと思ったらば、三年も待たずに直ぐに転職すべきです。住んでいる家に毎晩の様に怨霊が現れるのであれば、直ぐに引っ越してお祓いを受けるべきなのです。指を咥えて三年間も無駄にしては決していけません。待つのではなくて、自分から決断して行動を起こすべきなのです。これこそが石の上にも残念なのです。例えば渋谷のハチ公前で恋人と待ち合わせ、ところが彼女は中々現れません。彼は3年間その場所で我慢と辛抱の精神で待ち続けましたが、やはり彼女がやって来る事はありませんでした。
今の時代は、Youmeiが子供の頃と比べて、とてつもなく自由で選択肢の豊富な時代です。自分が決心さえすればどんな事でも実現可能な時代です。これからの若い方々は、時代の価値観や常識が大きく変化する中、何の進化もなく古い価値観でのみ生きる古い人の意見に影響されず、自分自身の気持ちや考え、価値観を指針にもって自由に行動実践して今の時代を生きて欲しいと思います。
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