おはようございます。日々煩悩だらけのYoumeiです。
原始仏教に於いては、煩悩を滅する事に主題がおかれ、それにより覚りが得られるとされていました。しかしながら、時代を経て大乗仏教の概念が発展すると、すべての衆生は何かしら欲求を持って生活せざるを得ず、従って煩悩を完全に滅する事は不可能と考えられるようになりました。また煩悩があるからこそ悟りを求めようとする心、つまり菩提心も生まれると考えられる様になったのです。煩悩と菩提は分けようとしても分けられず、相(あい)即(そく)して存在する訳です。これらの様に二つであって、しかも二つではないものの事を而二不二と言います。これは維摩経に示される不二法門の一つでもあります。
「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」とは、欲望や怒りなどの「煩悩(迷いや苦しみの原因)」を断ち切るのではなく、そのまま「菩提(悟りや智慧)」に転じるという大乗仏教の重要な教えです。仏教では、煩悩と悟りは本来別々のものではなく、表裏一体であると捉えられています。宗派によって少しずつ解釈が異なりますが、主な宗派での捉え方は以下の通りです。
【各宗派における解釈】
ü 浄土真宗
人間は煩悩を完全に無くすことができない存在であると捉えます。煩悩を抱えたままであっても、ありのままの自分を受け入れ、阿弥陀如来の慈悲に気づくことがそのまま救い(悟り)につながると説かれます。
ü 日蓮宗・創価学会
悩みや欲望という苦しみ(薪)をエネルギーに変えることで、初めて大きな幸福(炎)の光を得ることができると解釈します。苦悩が大きいほど、偉大な人生を切り開く力になると説かれます。
ü 天台宗・真言宗など(密教)
煩悩そのものが、仏の悟りの智慧の現れであると見ます。煩悩を否定せず、煩悩を正しく見つめ、理解することが悟りへの道であるとされます。
「煩悩即菩提」は「悩みや欲望を無理に消し去ろうとしなくてよい」ということを教えてくれます。怒りや迷いが湧いたときに、それを否定するのではなく、「なぜ自分がそう感じるのか」と見つめ直す内省のプロセスそのものが、人間的な成長や心の平穏(悟り)へとつながっていくのです。
人間には必ず感情が伴います。その感情を完全に捨てようとする事は逆に危険だと思いますね。そもそも生物の進化とは煩悩あっての事だと思います。煩悩がなければ生物は進化しません。また子孫を残す事もできないでしょう。煩悩とは即ち、生物の本能だと思います。煩悩は正しく制御する(コントロールする)ものです。
そう考えると生き方も随分と楽になりますよ。
今日もいい日になる様に
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