「長老」とは本来は仏教用語です。仏教の経験豊富な僧に対する尊称、または役職なのです。日本の一部の宗派での高僧、前住職に与えられる敬称・役職ですね。一般的には学識に富む年長者または老人に対する尊称として使われております。
以前の爆発的なバイタリティーが徐々に減縮しているYoumeiですが・・・、時にはただ空しく老いぼれていくだけの人間だと恥ずかしい思いもあります。いくら頑張って親分ぶって意見等言っても、ただ白髪禿頭の老いぼれに見えているのかも知れないと思うと情けなくなります。
昔から高齢者の方々は「最近の若者はなっていない」と言いますね。Youmeiはこの言葉だけは発したくないですね。しかしながら、何でも自分が正しいと信じ、自分は間違うことなどなく、世の中のためになっていると思っている高齢者の方も多い様に感じます。
一方、若者は確かに今さえ良ければいいという考えの人も目立ちはしますが、逆にこんな時代ですからしっかりとした考えを持ち、目標を持って歩んでいる若者もとても多い様に解しています。
この世に自分で希望して生まれてくる事は絶対に出来ません。何しろ気が付いた時には、既に生まれていたのです。そうして自分が男であるとか、女であるとか云々は全く自分の意思は入っていないのです。これを「宿命」と言うのでしょう。
しかしながら成長するにつれて、仕事や趣味等、そして配偶者は自分自身で選んで決める事が出来るものも多くなります。「運命」とは命を運ぶと書きますが、自分の命をどう言った方向へ運んでいくのかという事が人生ではないでしょうか。
つまり大事な事は、どれだけ長生きするかではなくどう言った生き方をしたかです。今一度、自分がこの世に生まれ出て生きている、それは何をするためなのか。そして、それを実現するためには「どういう生き方をするのか」を真剣に考え生きていかなければなりません。ただ何となくという日々を送っていたのでは、老いぼれと呼ばれるだけでしょう。
人生を大切に思うのならば、時間を大切しなければなりません。時間こそが人生を形作る材料なのです。時間とは即「いのち」の事です。
時は命なり
今日も大した事もなく終わったという事ではなく、毎日が充実している生き方が大切です。何故ならば時間の後戻りは決して出来ないからです。自分の人生の持ち時間は刻一刻と短くなっているのです。もうこの日しかないと言った気持ちで時間を有効に使って与えられている時間(与生)を使い切っていきましょう。生きていると言った事は、ただ単に呼吸をしているとか心臓が動いていると言った事ではありません。自分の「いのち」が光り輝いているかに係っているのです。
今日もいい日になる様に
いつでも笑って優しくね!
ぼぼぼ、ぼぼぼ、ぼ~ん!
今日もいい日になる様に
誰かに笑顔でありがとう!
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