おはようございます。皆様方は蒸し暑さにも負けずに元気でいらっしゃいますでしょうかぁ。もう関東地方の梅雨明けも間近と思います。
明日、7月23日は大暑です。大暑は、二十四節気の第12になります。定気法では太陽黄経が120度の時で7月22~23日頃ですね。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立秋前日までを指します。西洋占星術では、大暑を獅子宮の始まりとしています。
大暑は快晴が続き、気温が上がり続ける頃です。『暦便覧』には「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と記されています。
夏の土用が大暑の数日前から始まり、大暑の期間、続きます。小暑と大暑の一か月間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送るのが一般的です。また大寒と互いに半年後・半年前になります。小寒と小暑も同じ関係です。
そして本日、7月22日は『円周率近似値の日』なのです。円周率の近似値が22÷7であることから、この様に言われております。
円周率は、円の周長の直径に対する比率として定義される数学定数であります。一般的にはギリシア文字 πで表されます。数学を始め、物理学、工学といった様々な科学分野に出現致しまして、最も重要な数学定数とも言われております。円周率は無理数、つまりその小数展開は循環しません。小数点以下30桁までの値は次の通りですね。
π = 3.141592653589793238462643383279・・・
これって皆さんは暗記している方はいらっしゃいますか? 管理人的には語呂で覚えるのが良いかと思います。
『産 医 師 異 国 に 向 かう 産 後 厄 な く 産 婦 み や し ろ に 虫 散 々 闇 に 鳴 く』
世の中にはとてつもない記憶力をお持ちの方が存在致しまして、『ギネス世界記録』によれば、円周率暗唱の世界記録は2005年11月20日に6万7890桁を暗唱した中国人、呂超さん(西北農林科技大学大学院生)が記録保持者です。日本人では、2004年9月25日、原口證さんが8時間45分かけて円周率5万4000桁の暗唱に成功し、従来の世界記録を更新しておりました。しかしながら、実際はより多くの桁を覚えていたため、2005年7月1日~7月2日に再挑戦し、8万3431桁までの暗唱に成功しました。2006年10月3日午前9時~10月4日午前1時30分(16時間30分)の挑戦で円周率10万桁の暗唱に成功しておりまして、ギネス世界記録に申請中なのです。本当に凄いですねぇ。物理化学が専門の管理人は若い頃に於いて記録力も悪い方ではなかったのですが(現在は酒の呑みすぎで脳細胞が破壊されて記録力に自信がありません)、とても真似はできるものではありません。
円周率は、無理数であるのみならず、超越数でもあります。超越数(transcendental number)とは、代数的数でない数、即ち有理係数の代数方程式の解とならないような複素数のことです。有理数は一次方程式の解ですから、超越的な実数はすべて無理数になります。
さて、π という文字は、周辺・地域・円周などを意味するギリシア語 περιφέρεια(ペリフェレイア)の頭文字です。日本では「パイ」と発音する方が多いですね。
古代に遡りますと円周の直径に対する比率が円の大きさに依らず一定であり、それが 3 より少し大きい程度だということは古代エジプトやバビロニア、インド、ギリシアの幾何学者達には既に知られていた様です。また、古代インドやギリシアの数学者たちの間では半径 r の円の面積が πr2 であることも知られていました。更に驚くべきことにアルキメデスは半径 r の球の体積が 4/3πr3 であることや、この球の表面積が 4πr2(その球の大円の面積の4倍)であることを示していました。
14世紀インドの数学者・天文学者であるサンガマグラマのマーダヴァは下記の様な π の級数表示を見いだしています(ライプニッツの公式と言います)。
これは逆正接関数 Arctan x のテイラー展開の x = 1 での実現になっています。更にマーダヴァは次の式を用いて π の値を小数点以下11桁まで求めているのです。
20世紀以降、コンピュータの発達により、計算された円周率の桁数は飛躍的に増大しました。
1949年に、ジョン・フォン・ノイマンはコンピュータ ENIAC を使い70時間かけて、円周率を2037桁まで計算しました。その後の数十年間、様々な計算機科学者によって計算は進められ、1973年には100万桁を超えました。この進歩は高速なハードウェアの開発だけによるものではなく、効率のよいアルゴリズムが考案されたためです。例えばその中でも最も重要な発見の一つとして、1960年代の高速フーリエ変換があります。これにより、多倍精度の演算が高速に実行できるようになりました。そして我々人類は、2013年現在で、円周率は小数点以下12.1兆桁まで計算されているのです。
話題は変わりますが、本日、7月22日は隣市の熊谷に於いて、うちわ祭の最終日、「叩き合い」の日ですね。今年の祭り期間中は、約70何人の人出が見込まれています。熊谷うちわ祭は、毎年7月19日から23日にかけての5日間(一般的には20日から22日の3日間)に開催される埼玉県熊谷市の愛宕八坂神社の例大祭です。管理人は熊谷高校出身、そして現在の勤め先も熊谷市内の某製薬会社でして・・・、熊谷市とは縁深いのです。
うちわ祭は「関東一の祇園」と称されております。
山車6台・屋台6台が、賑やかな熊谷囃子を鳴らしながら市街地を練り歩く巡行を中心とした祭りであり国道17号を含む中心市街の大部分に交通規制が敷かれます。直径30cm程度の大音量の鉦を用いる囃子、2台以上の山車・屋台を向き合わせる・並べるなどして囃子を競う「叩き合い」に特色があります(今晩です!!)。期間中、行宮・商店を始め街中の至る所で団扇が配られることからの名であり、特に団扇を用いた催事がある訳ではありません。
このお祭りは熊谷の夏の風物詩であり、熊谷市最大の行事ですね。
現在の祭の形に於いては、江戸時代・明治時代に確立された数々の行事の原型が残されていることが明らかとなり、2012年3月30日付で、『熊谷八坂神社祭礼行事』として、熊谷市指定無形民俗文化財に指定されました。
「うちわ祭」の名称の由来ですが・・・、『料亭「泉州」が、手間のかかる赤飯に替えて、店名入りの渋団扇を配ったところ、当時の生活必需品とあって好評を博し、他商店が追随しました。3銭の買い物に対しても5銭の団扇をサービスし、「買い物は熊谷のうちわ祭の日に」と言われるようになりました』というのが定説となっています。最初に「泉州」が配った渋団扇は、東京日本橋の団扇扇子舗「伊場仙」製のものであったとされております。団扇が赤飯にとって替わった時期については、江戸時代後期とも明治時代中期とも言われておりますが、確たる資料は現存しないのです。
団扇は既に生活必需品ではなくなりましたが、祭りの名称とあって、期間中に団扇を配布する習慣は健在です。現在では、表面は青地に「うちわ祭」の大書や祭りの由来、公式サイトへのバーコード等が書かれた統一デザイン、裏面には店名等が書かれたものが、行宮をはじめ各所で大量に配布されています。また、これとは別に祭りの時期に合わせて宣伝広告用の団扇を用意する企業・団体等も少なくない様ですね。
さてさて、お待たせ致しました。ここからソフトテニスの話題です。本日は団員RF君(4年生)のグランドストロークのフォームを見てみましょう。RF君は2年生の終わりの時期に入団しました。ソフトテニスを始めて未だ1年と数か月ですが、急激な上達を見せております。真面目な性格で練習に取り組む姿勢も100点満点です。先日の北部地区交流大会でも並み居る強豪の中で第3位に入賞しました。それでは連続写真をご覧になって下さい。
写真1
写真2
写真26
それではRF君のフォームを検証してみましょう。写真6に於いて左脚の引きをもう少し大きく、そして左膝を中に入れる様に引けると尚一層良いかと思います。写真7ではテイクバックの高さ、右手の甲が頭の位置にありGoodです、高学年になって打点を上げたフォームにスムーズに移行できるでしょう。また、小学生には大きなフォームで遠くへ飛ばすことを優先して教えたいですね(RF君はそれを良く会得しております)。写真7から10にかけてテイクバックの位置が安定しております。2弾引きになる子が多いのですがRF君には全くその欠点がありません。更に写真10の左手、まさにボールを掴む方向へ差し出していてVery Goodですね!! インパクト前のラケットの振出しでは右ひじを上手く畳んで脇を締めておりGoodです(写真14)。インパクトの瞬間の面の作り、そして前後の位置は非常に素晴らしいです、Very
Goodです(写真16)。フィニッシュはラケットが良く振り切られていて、更に膝が良く曲がり伸び上がる感じが全くありません、これもVery Goodですね(写真26)。それではGifファイルでもう一度RF君のフォームをご覧になって下さい。
0 件のコメント:
コメントを投稿