ようこそ! 鴻巣パンジーテニススポーツ少年団のブログへ

  埼玉県鴻巣市で活動する小学生のソフトテニスクラブです。ソフトテニスを通して子供たちの 健全な心と体を育てることを目的として活動しています。
 詳しくは鴻巣パンジーテニススポーツ少年団のホームページ(http://konosupansy.omegumi.com/)も参照して下さい。
 管理人は将来を担う子供たちの育成ために微力ながらも努力をしていきたいと考えております。
 

2013年4月10日水曜日

平成25年度のスケジュールについて


皆様方、こんばんはぁ。

本日410日は年始から節目の100日目、今年も残すところあと265日です。

管理人は年始に立てた目標と言うべきか・・・、スローガン『敢為邁往』と『水滴石穿』を少しずつですが推し進めているつもりです。

復習になりますが、敢為邁往(かんいまいおう):”敢為”は、物事を困難に屈しないでやり通すこと、”邁往”ひたすら進むことという意味で、「目的に向かって困難をものともせず、自ら思い切って、まっしぐらに進んで行くこと」です。

水滴石穿(すいてきせきせん):軒下から落ちる僅かな水滴でも、長い間、同じ所に落ち続けると、ついには固い石にも穴をあけてしまうことから、小さな少しずつの努力でも継続すれば大きな成果を挙げることが出来るという喩えです。この四字熟語は、「継続は力なり」ということわざと同じ意味を持っており、小さなことでも続けていれば、いつかは大きな力となり、大事業を成し遂げられるので、何事も、途中でやめずに、毎日、コツコツと努力を続けることが大切ということです。

本日410日は『女性の日』です。労働省(現在の厚生労働省)が1949年に「婦人の日」として制定して、1998年に「女性の日」に改称されました。1946年のこの日、戦後初の総選挙で初めて婦人参政権が行使されたことに因みます。この日から1週間が「女性週間」となっています。この世の男性陣は特にこの1週間は女性の皆様方を敬う様に致しましょう。

日本の「婦人参政権運動(婦人運動)」の中では、
 1.国政参加の権利、衆議院議員の選挙・被選挙権。
 2.地方政治参加の権利、地方議会議員の選挙・被選挙権(公民権)。
 3.政党結社加入の権利(結社権)。
 3つを合わせ、「婦選三案」あるいは「婦選三権」と呼ばれてきました。

日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14)であります。しかし、フランス革命当時の欧米と同じように、男性のみの参政権が明文化されておりました。

日本の婦人運動は、戦争の激化による中断はあるものの明治末年からの歴史を有し、女性の中には政治的権利を希求する意識が醸成されていました。 明治の末年から大正デモクラシーの時期にかけて、女性参政権を求める気運が徐々に高まってきました。堺利彦、幸徳秋水らの「平民社」による治安警察法改正請願運動を嚆矢として、平塚らいてうの青鞜社結成を経て、平塚と市川房枝、奥むめおらによる新婦人協会(1919年)や、ガントレット恒子、久布白落実らによる日本婦人参政権協会(1921年、後に日本基督教婦人参政権協会)が婦人参政権運動(婦人運動)を展開、続いて各団体の大同団結が図られ、婦人参政同盟{日本婦人協会}1923年)(理事山根キク)、婦人参政権獲得期成同盟会(1924年、後に婦選獲得同盟と改称)が結成、さらに運動を推進しました。

これらの運動は、戦前の日本において、女性の集会の自由を阻んでいた治安警察法第52項の改正(1922年)や、女性が弁護士になる事を可能とする、婦人弁護士制度制定(弁護士法改正、1933年)等、女性の政治的・社会的権利獲得の面でいくつかの重要な成果をあげました。

1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過しましたが、貴族院の反対で廃案に追い込まれました。

第二次世界大戦後の19451010日幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされました。また、翌1011日、幣原内閣に対してなされた、マッカーサーによる五大改革の指令には、「参政権賦与による日本婦人の解放」が盛られていました。終戦後10日目の1945年(昭和20825日には、市川房枝らによる「戦後対策婦人委員会」が結成され、衆議院議員選挙法の改正や治安警察法廃止等を求めた五項目の決議を、政府及び主要政党に提出します。同年113日には、婦人参政権獲得を目的とし、「新日本婦人同盟」(会長市川房枝、後に日本婦人有権者同盟と改称)が創立され、婦人参政権運動を再開しています。
 


 
19451121日には、まず、勅令により治安警察法が廃止され、女性の結社権が認められます。次に、同年1217日の改正衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められます(地方参政権は翌年の1946927日の地方制度改正により実現)。1946年(昭和21410日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生しました。そして、同年516日召集の第90特別議会での審議を経て、107日憲法改正案成立となりました(日本国憲法113日公布、1947年(昭和2253日施行)。
 
 
 日本初の女性参政権は1878(明治11)の区会議員選挙で、「戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないというのはおかしい。」と楠瀬喜多という一人の婦人が高知県に対して抗議しました。しかし、県には受け入れてもらえず、喜多は内務省に訴えました。そして1880(明治13年)920日、3ヶ月にわたる上町町会の運動の末に県令が折れ、日本で初めて(戸主に限定されていましたが)女性参政権が認められました。その後、隣の小高坂村でも同様の条項が実現したとのことです。
 



この当時、世界で女性参政権を認められていた地域はアメリカのワイオミング準州や英領サウスオーストラリアやピトケアン諸島といったごく一部であったので、この動きは女性参政権を実現したものとしては世界で数例目となりました。しかし4年後の1884年(明治17年)、日本政府は「区町村会法」を改訂し、規則制定権を区町村会から取り上げたため、町村会議員選挙から女性は排除されました。 

今の時代でこそ男女平等が当たり前になりましたが、上述のとおり歴史を顧みると女性が権利を得るまでには、苦難のプロセスがあったのです。

 さて、大変に遅くなりましたが、平成25年度鴻巣パンジーテニススポーツ少年団の事業計画(日程表)を作成しました。管理人の作業が遅れて、関係者の皆様方にご迷惑をお掛け致しましたことをお詫び申し上げます(下記はクリックすると大きくなって幾らか見易くなります)。
 
 
鴻巣パンジーテニススポーツ少年団HPのスケジュールのページPdfファイルを掲げましたので、関係者の方はそちらを参照される様にして下さい。
 
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