ここのところ天候が安定していて秋らしい爽やかな日々が続いております。
昨日、地元鴻巣市では『鴻巣おおとり祭り』が開催されました。中山道を、国内最長級 約3kmにわたって歩行者天国とした祭りです。「鴻巣」の名称の由来とも言われている「こうのとり伝説」をテーマとしたパレードや、民謡流しが行われました。また、屋台おはやし共演や街頭パフォーマンスなども楽しめたと思います。
「こうのとり伝説」は、鴻巣市にお住まいの方はご存知でしょうかぁ。ちょっと復習してみましょうね。
昔々、鴻巣の宮地に小字本宮というところがあり、
そこに小さな祠が祀られていた。
そのそばに天をも突かんばかりに繁った一本の大きな樹が立っていた。
毎日のお供えを少しでも怠ると必ず祟りがあって、
村人たちは苦しい生活の中からたくさんのお供えを欠かさなかった。
そして村人たちはこれを”樹の神”と呼んで畏れるようになった。
あるとき、隣村の男によって祠が汚される事件が起こった。
樹の神の祟りか、それから村を猛烈な日照りが襲った。
そんな日照りの中、どこからか一羽のコウノトリが飛んできて
”樹の神”の樹のてっぺんに巣を作り卵を生んだ。
ところがそこに一匹の大蛇が現れて、卵を飲み込もうと巣に迫った。
怒ったコウノトリは大蛇と木の上で渡り合った。
大蛇の頭をくちばしで突き刺すと大蛇は悲鳴を上げて不思議な光を放ちながら消えてしまった。
こうして大蛇を退治したコウノトリは無事に卵を守った。
するとそれまでの日照りが嘘のように突然雨が降り出した。
それ以来、樹の神が村人たちに祟りを起こすことがなくなった。
村人たちはコウノトリに感謝して新しい祠を祀り、ここを鴻の宮(現
在の鴻神社)と呼ぶようになり、地名も鴻巣と呼ばれるようになった。
鴻神社は、鴻巣宿の中心にあった氷川社、熊野社、雷電社を明治6年(1873年)に合祀し鴻三社と号したのが始まりであります。その後、明治35年(1902年)に、日枝社、東照宮、大花稲荷社、八幡社を合祀して、社号を現在の鴻神社と改めました。当初は市内宮地5丁目にありましたが、後に現在地に移転しましたた。尚、旧社地には現在も八幡、稲荷、氷川の三社の祠が残されております。
大本となった三社のうち- 氷川社は鴻ノ宮氷川大明神または端ノ宮(はじのみや)と言い鴻巣郷総鎮守として広く崇敬を集めた古社であります。また「こうのとり伝説」の由来となっている社でもあるのです。
- 熊野社は古くは熊野権現と号した古社ですが創建は不明です。近隣の豪族の深井対馬守景吉が永禄4年(1561年)に紀州熊野社を参詣して、その社地の霊土と御神燈を持ち帰り、鴻巣宿の熊野社の社殿の下に霊土を埋めたと伝えられております。
- 雷電社は現在の鴻神社の場所にあり、竹林が多い事から「竹の森雷電社」とも呼ばれていました。
管理人は順風満帆とは全く程遠い苦しい人生を送ってきましたこともあって、鴻神社へは、仕事帰りの毎晩にお参りにいっておりました。
さて、昨日は標題の平成24年度第4回秩父小学生交流練習会(秩父ミューズパーク)へ参加してきました。鴻巣パンジーからは18名の子供たちが参加しました。技術レベルに応じたクラス分けされたグループでの練習試合ですので、モチベーションを維持して臨むことが出来ます。北部地区の各団揃っての交流練習試合で意義深いものがあります。爽やかな秋晴れ、所謂テニス日和の中、子供たちも非常に楽しむことができたものと確信しております。以下は管理人が撮ったスナップ写真の一部です。皆んな一生懸命に頑張っておりました。
余談ですが、秩父ミューズパークの銀杏など木々が色づき始めておりました。秋たけなわ、スポーツの秋ですね!!!
林昭弘様を始めと致しました秩父ジュニアSTCスポーツ少年団様、皆野ソフトテニススポーツ少年団様、横瀬ソフトテニススポーツ少年団様の皆々様方には心より感謝致しております。そして、今後とも埼玉県北部地区の団結力が益々培われていくことを切に願っております。
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