法句経によると、頭髪が白くなったからとて長老なのではありません。ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」と言われます。誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷なわず、慎みあり、自ら整え、汚れを除き、気をつけている人こそ長老と呼ばれるのです。
埼玉県深谷市出身の渋沢栄一氏は「「四十・五十は洟垂れ小僧、六十・七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」と仰っています。1840年生まれで、「日本資本主義の父」とも呼ばれる渋沢栄一氏は、91歳で亡くなるまでの間に、約500社の設立に関わり、約600件の社会公共事業に尽力しました。明治期の男子の平均寿命は43歳といいますから、その2倍も生きた、とてつもなくエネルギッシュな方だったことは容易に想像がつきます。先の大戦後ようやく平均寿命は50歳になりましたから、大正や昭和初期の人々には驚愕をもって受け止められたに違いありません。
一方、姥捨ての説話は世界のどこにでもある様です。姥捨て山とは、特定の年齢に達した高齢の親を山に捨てるという昔話や伝説です。日本各地でも語り継がれており、長野県姨捨山の伝説が有名ですよね。主に食糧難解消の「口減らし」を目的に、年老いて働けなくなった老人を山に遺棄していたという伝承があります。
今は、多様性(Diversity)を尊重しようと言った流れがありますので、高齢である事も一つの個性として認められ、姥捨て山如きの話は人権侵害も甚だしいですが、古き時代はこれが常識であった事もあったのでしょう。
「雑宝蔵経」というお経の中に、棄老国という高齢者を棄てる風習のある国の話が出てきます。
ある時、棄老国の王が天神に、「2匹の蛇の雌雄を見分けられなければ国を滅ぼす」という難題を突き付けられました。この時、大臣がこっそり隠して養っていた老父が、それまでに蓄えた知識を存分に発揮して国を救ったため、棄老の風習は禁止されたという内容です。
「雑宝蔵経」では人生の経験を重ねた高齢者は多くの知恵を持っているという敬老の説話になっています。
後5年もすれば、日本人の3人に1人が65歳以上という超・高齢者社会が現実のものとなります。「老いる」という概念にも修正が必要となりそうで、「棄老」ならぬ「活老」の時代になるのかも知れませんね(笑)。最近、暴走気味の高齢者の話題を頻繁に耳にしますが、Youmeiは「空しく老いぼれた人」と言われない様な齢の重ね方をしたいものです。
Youmeiは妻と暮らしている限り、お迎えの死神がやって来ても、一度は追い返す様な勢いでいたいと思います。そうそう・・・、死神博士(仮面ライダー)役の天本英世氏に実際に会った事があります。山下公園に於いて朝のお散歩中でした。服装は仮面ライダーの死神博士と全く同じ様なマントを羽織っておりました。
本日、愛する妻が埼玉県ソフトテニス連盟の春季レディーズ大会(大宮第二公園テニスコート)にて公式戦デビューします。Youmeiは時間を何とか作って応援に行きたいと思っています。ペアを組んで下さるMI様(北本メイツ)、どうぞ宜しくお願い致します。
今日もいい日になる様に
いつでも笑って優しくね!
ぼぼぼ、ぼぼぼ、ぼ~ん!
今日もいい日になる様に
誰かに笑顔でありがとう!
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