「叱る」と「怒る」の違いは、行動理由が他人のためか、自分のためかという点があります。 「叱る」の場合は、相手に対して助言をすること、アドバイスをすることであり、「怒る」は自分の感情をぶつけることです。
字の成り立ちを見ても、この2つの字の意味が異なることがわかります。子供たちを叱る事は必要です(甘やかしは絶対にダメです)。でも怒ってはいけないのですよ。
「怒ってはいけない」という状況は、相手との関係性や状況によって、様々な意味合いを持ちます。
(1)一般的な意味合い
①.
感情コントロール
怒りは、人間にとって自然な感情ですが、適切にコントロールしないと、周囲の人々や自分自身に悪影響を与える可能性があります。怒りを抑え、冷静に対応することが大切です。
②.
状況に応じた適切な対応
例えば、スポーツ指導の場では、選手を叱咤激励するために怒りを表すことが必要とされる場合もありますが、一般的には怒りは避けたい感情です。
③.
人間関係
怒りをぶつけてしまうと、相手との関係が悪化する可能性があります。コミュニケーションを大切にし、相手の気持ちを理解しようと努めることが重要です。
(2)状況に応じた意味合い
①.
スポーツ
スポーツ指導の場では、監督が怒ると選手に悪影響を及ぼす可能性もあるため、「怒ってはいけない大会」のようなイベントも開催されています。
②.
ビジネス
職場での叱責は、部下への成長を促すための手段として必要とされますが、怒りや感情的な叱責は、部下のモチベーションを下げる可能性があります。
③.
家庭
子どもを叱る際には、怒りではなく、子どもに理解してもらうための言葉を選ぶことが大切です。
④.
個人
怒りやイライラは、身体に悪影響を及ぼす可能性があります。アンガーマネジメントを学び、怒りの感情とうまく付き合っていくことが大切です。
(3)怒りの感情とうまく付き合うために
①.
アンガーマネジメント
怒りの感情をコントロールするための技術を学ぶことで、怒りを表現する方法や、怒りを引き起こす原因を理解し、適切な対応をすることができます。
②.
深呼吸や瞑想:
怒りの感情がこみ上げてきたら、深呼吸や瞑想などのリラックス方法を試すことで、怒りを鎮めることができます。Youmeiは瞑想をよくやっています。
③.
自己分析
怒りの感情がどのような状況で発生するのか、どのような原因で怒りを感じるのかを分析することで、怒りをコントロールするためのヒントを見つけることができます。Youmeiは瞑想しながら、自分自身の自己分析もする様にしております。
④.
コミュニケーション
怒りの感情を表現する際には、相手を責めたり、感情的に訴えたりするのではなく、自分の気持ちを冷静に伝え、相手の意見を聞く姿勢が大切です。
「怒ってはいけない」という言葉は、状況や関係性によって様々な意味合いを持つことがありますが、怒りの感情をコントロールし、適切に対応することで、より良い人間関係を築くことができます。
仏教では、怒りを「病気」と捉え、怒りをコントロールするには「自分を変える」ことが重要だと説かれています。
【怒りの原因を知る】
怒りの原因を自分以外のものに求める癖を認識し、客観的に見つめる
【怒りを正当化しない】
怒りを正当化すると抜け出せなくなり、不幸に陥ってしまう
【怒りを無謀にしない】
怒りは無謀に始まり、後悔に終わる
【怒りをその場でおさめる】
怒りが現れたら、その場で抑えて、なくしてしまう
【欲望をなくす】
欲望をなくすことや感謝の念を持つことが強調されている
【思い通りにならないことを無理やり思い通りにしない】
思い通りにならないことを無理やり思い通りにする必要はない
こんな記事を書いているYoumeiですが、自分自身も瞬間湯沸器の様に突然大噴火してキレる事はあります。でもそんな自分に気が付いたらば出来るだけ速やかに自浄出来る様な努力をしているつもりです。
怒りや悲しみ、あるいは欲といった強い感情に囚われると、人間は「怒っている自分」「悲しんでいる自分」「欲にかられている自分」とは違う「平静な心の自分」を思い描けなくなります。しかしながら、どれ程、心の中で暴風雨が荒れ狂っていたとしても、それはあくまで「心」の働きであり、自分自身の本当の姿ではないというのが仏教の教えです。仏教では「怒り」という感情こそが、あらゆる感情の中で最も大きく人間の能力を損なう害悪であると考えます。但し、仏教における「怒り」というのは、私たちが一般に「怒り」や「怒る」という言葉で捉えている感情よりも、ずっと広い心の動きを対象としています。これを仏教では「瞋」と呼びます。
これに欲深さを表す「貪」と、無智である事を表す「痴」を合わせた3つ、貪・瞋・痴の「三毒」こそが、人間が克服すべき煩悩であるとされています。この3つは互いに絡み合いながら、人間の心を揺さぶっています。勿論ですが最終的には、この三毒全てを払う必要があります。ただ、「貪」と「痴」は往々にして「瞋」に結びついていますので、「瞋」をしっかりと捉え、ターゲットにすると、自然と「貪」と「痴」にもアプローチする事ができるのです。そう言った意味で、「瞋」、即ち「怒りを静める」という事が、日々の実践の中では中心として位置づける事ができるのです。
前述のとおり、「瞋」というのは、普通「怒り」という言葉で捉えるよりも広い概念であると記述しました。例えば「カチンと来る」という感じの怒りや、「こいつ、ぶん殴ってやる!」という様な激しい怒り等は、比較的「怒り」という言葉でイメージしやすいものだと思います。こうしたものも、もちろん「瞋」の一つであり、出来る限り日常の中で払ってほしい感情です。しかしその一方で、「瞋」には、日常的には「怒り」だと認識していないものも含まれています。
「不安」というのも「瞋」の一つの現れです。どんな不安でも、その奥には怒りがある・・・、そう言われてもピンと来ない人もいるかもしれません。つまり、「不安」というのは一見「現実」に根を張っているように見えて、その根っこは心の中の「未来予測」に向かって伸びているということです。自分が勝手に予測し、つくり上げた「悪い未来」に対する怒り、「どうして自分が、ひどい目に遭うんだ」という怒りが、不安の奥に潜んでいることが多いのです。この他にも妬みや軽視といった、人を見下すような気持ちや、「暗い気分」「低いテンション」といったものも怒りの表れだと考えられています。
仏教における怒り=瞋という概念が、通常考える「怒り」よりも広い、様々なネガティブな感情を指しているということを理解しておきましょう。
「怒り=瞋」という観点から日常を振り返ってみると、いかに怒りにまみれながら日々を過ごしているかという事とがよく解ります。家族とのちょっとした会話の行き違いや、電車の乗り降りで身体が当たったという様な些細な事でも、心には怒りが生じています。そして、それが大きな怒りであれ、小さな怒りであっても、あらゆる怒りは自らの心と身体に、着実にダメージを与えています。
一般的には「怒りによって人間関係が壊れる」ということや「怒りによって集中力が失われ、仕事が失敗すること」といった形で怒りの問題が取り扱われています。当然ですが、そういった「怒りによる2次被害」への対応も重要なのでが、怒りを消していく時には、むしろ「怒りそのもの」の害を減らす、ということを意識すべきなのです。
仏教に於いて、怒りの感情をコントロールする際に「6秒ルール」が活用されます。これは、怒りがピークに達する6秒間を乗り越えることで、感情的な反応を抑制し、より理性的な対応を可能にするテクニックです。6秒間、深呼吸をしたり、数を数えたりすることで、怒りの感情を一時的に鎮め、その後冷静に対応できる様になります。
前述のとおり、仏教の教えでは、怒りは「煩悩」の一つとして捉えられ、自己中心的な心から生じるものとされています。
怒りの感情をコントロールすることは、自己の煩悩を克服し、より平和な心でいられることにつながると考えられています。
「6秒ルール」は、仏教的な視点から生まれたアンガーマネジメントのテクニックの一つとして、現代社会でも広く活用されています。
怒りの感情が強くなったときに、6秒間意識的に行動をコントロールすることで、後悔するような行動を避けることができますよ。皆様方も是非、今日からでも試して下さい。
今日もいい日になる様に
いつでも笑って優しくね!
ぼぼぼ、ぼぼぼ、ぼ~ん!
今日もいい日になる様に
誰かに笑顔でありがとう!
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