今日、8月29日は『焼肉の日』です。ご存知の方も多いかと思いますが、8月29日の「829」が「焼き肉」と読めることから、全国焼肉協会が1993年に制定しました。夏バテ気味の人に焼肉を食べてスタミナをつけてもらおうという日なんです。管理人も焼肉は大好きです。ただ・・・、一人で食してもあまり楽しくもありませんし、箸も進まないものです。焼肉は大勢で食べるのが一番いいですね(最低でも二人以上揃わないとダメです)。呑んべいの管理人にとっては生ビールでも飲みながらは最高です。先日の全日本小学生ソフトテニス選手権大会(島根県出雲市遠征)の折りに、南歩果ちゃん、松井玲奈ちゃん達と焼肉を食べにいきました。食欲が若干落ちていた彼女達にとっても、焼肉は食べられた様です。管理人も久しぶりの焼肉を満喫しましたね。
焼肉の起源を辿ると、おそろしく古代に遡ります。肉を焼いて食べるという単純で基本的な調理法は、人類による火の使用とともに始まった原始的で普遍的なものであり、特定の起源をもつ料理とは考えにくいのです。
日本の獣肉食の歴史に絞って記述すると、日本では古来、食用の家畜を育てる習慣が少なく、主に狩猟で得たシカやイノシシの肉を食していました。仏教伝来以降は、獣肉全般が敬遠されるようになっていましたが、日本人の間で全く食べられなくなったという時期は見られません。獣肉食に関する嫌悪感も時代と共に変わっていきましたが、概ね、狩猟で得た獣肉は良いが家畜を殺した獣肉は駄目、そして足が多いほど駄目(哺乳類>鳥>魚)と考えられることが多かった様です(但し、タコ、イカ、カニ、エビは例外ですよ)。日本の獣肉消費量が魚肉を上回るのは第二次世界大戦後の高度成長期より後のことなんです。
古くは縄文時代の貝塚跡からは動物の骨も数多く発掘されており、その9割がシカ、イノシシの肉で、その他にクマ、キツネ、サル、ウサギ、タヌキ、ムササビ、カモシカなど60種以上の哺乳動物が食べられていたものと見られております。その調理法は焼く、あぶる、煮るなどであり、焼けた動物の骨も見つかっています。魏志倭人伝(3世紀)には、日本には牛馬がいなかったことが明記されています。但し「近親者の死後10日ほどは肉を食べない」とも書かれており、肉食が行われていたことは確実です。
古墳時代には薬猟の名で、シカやイノシシの狩が年に数回行われ、その肉が薬用として食べられていました。シカ肉とイノシシ肉は共に宍肉(ししにく)と呼ばれておりました。また、牛と馬が輸入され、肉や内臓が食用あるいは薬用にも使われました。豚あるいは猪の飼育も行われており、『日本書紀』安寧天皇の頃の条には「猪使連」という職が登場します。
時は流れて・・・、獣肉食は禁忌であった悲しい時代もありました。それは江戸時代、生類憐れみの令などが施された17世紀後半の元禄時代であります。この法令自体は徳川綱吉の治世に限られ、影響も一時のもので終りました。但し、特に犬を保護した事についての影響は後世まで残り、中国や朝鮮半島で犬肉が一般的な食材になっている一方で、日本では現代に至るまで犬肉は一般的な食材と看做されなくなりました(日本人である管理人はこれは幸いなことと安堵しております)。
明治時代になると、牛肉を食べることが文明開化の象徴と考えられ、牛肉を使ったすき焼きが流行しました。斎藤月岑日記には「近頃のはやりもの」として牛肉、豚肉などが挙げられています。食肉業者が増えたことにより、1871年(明治4年)には「屠場は人家懸隔の地に設くべし」との大蔵省達が出されています。
昭和の戦時中、内地では食糧難で焼肉どころではなかった様です(下層階級が経済的理由で普通ならば廃棄される内臓料理を食べることが多かった様です)。一方で占領期の都会では、降伏直後から1949年(昭和24年)ごろまであった闇市などで犬や猫などを含む様々な獣肉が売られることもありました。例えば焼いた動物の臓物が「焼き鳥」として売られていたこともあった様です。
そして管理人らが誕生した1960~70年代の高度成長期からは食肉の需要が急増し、1975年(昭和50年)にはソーセージの材料として魚肉を逆転し、1988年(昭和63年)には実質供給タンパク質量で魚肉を逆転致しました。
さて、現代に生きる我々は美味しい焼肉を食べることが出来ます。本当に幸せなことだと思います。焼肉文化は人と人とのコミニュケーションを繋げます。管理人もどなたかが誘って頂ければ焼肉パーティーには是非とも参加します。
牛肉の王様と言えば松阪牛ですね。管理人は人生52年、未だに松阪牛を食したことがありません。楽天の通販などのページを顧みても大変に高価ですね。う~ん、一般庶民の管理人には無理かも知れません、残念です(涙)。
もし管理人が60歳まで生息出来れば、還暦祝いに松坂牛の焼肉を食べてみたいものです。
さて、大好きな焼肉の薀蓄話は尽きないのですが・・・、またまたイントロダクションが長くなってしまいまして、申し訳ありません。本題のソフトテニスの話しに戻しましょう。
本日はシリーズ43回目のグランドストロークのフォームの話題です。登場するのは団員M.T君(5年生)です。M.T君のフォームは本年1月21日のブログ投稿でグランドストロークのフォーム(その13) として紹介しておりますので、参照して下さい。課題は、①腰高ぎみであること、これは左足の踏み込みが浅いことによるものです、大きく踏み込んで膝を曲げる様になればOKです。②インパクトの直後の映像でラケットの面が上を向いていること、これはドライブ回転が上手くかかっていない状況でした。
それでは何時もの様に彼のフォームを連続写真で見てみましょう。撮影は6月30日、鴻巣市上谷総合公園テニスコートに於いて、管理人が撮影致しました。
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
写真8
写真9
写真10
写真11
写真12
写真13
写真14
写真15
写真16
写真17
写真18
総じて2軸となる左足は踏み込まれており、腰高も大分改善されてきております。ボールも程よい順回転(ドライブ回転)がかかっており、約半年前よりも格段に良くなってきております。
いつもの様に上記の写真1~18をスライドショーにしてみました。復習の意味を込めて、ご覧になって頂ければ幸いです。
重ね重ねになりますが・・・・
努力に勝る才能なし
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